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【取材レポート前編】「自分自身でキャリアを、自分自身がオーナーシップを持って築いていく」OECD東京センター長 村上由美子さん

昨年11月9日にOECD東京センター長 村上由美子さんに取材させて頂きました。

2回に分けて掲載する(後編 <結婚家族>:26日)レポート。

今回は前編。バックパッカー時代のお話から国連で勤務していた際のお話も?

大学時代の貴重なお写真も頂きました!!!

OECD東京センター長 村上由美子氏

写真:OECD東京センター長 村上由美子氏

OECD東京センター長 村上由美子氏プロフィール: 上智大学外国語学部卒、スタンフォード大学院修士課程(MA)、ハーバード大学院経営修士課程(MBA)修了。その後約20年にわたり主にニューヨークで投資銀行業務に就く。ゴールドマン・サックス及びクレディ・スイスのマネージング・ディレクターを経て、2013年にOECD東京センター所長に就任。OECDの日本およびアジア地域における活動の管理、責任者。政府、民間企業、研究機関及びメディアなどに対し、OECDの調査や研究、及び経済政策提言を行う。ビジネススクール入学前は国連開発計画や国連平和維持軍での職務経験も持つ。ハーバード・ビジネススクールの日本アドバイザリーボードメンバーを務めるほか、外務省、内閣府、経済産業省はじめ、政府の委員会で委員を歴任している。著書に「武器としての人口減社会」がある。

 

「エキゾチックな経験が人生を変えた」

Women’s Innovation(以下WI):学生時代に出会い、村上さんの価値観形成に大きな影響を及ぼされた方や、尊敬されている方はいらっしゃいますか?

村上由美子さん(以下村上さん):強烈にこの人に憧れたという方はいませんでしたね。ただ、自分とは異なるバックグラウンドを持っている方との出会いや、色々な経験をすることによって、「こういう人生もありだな」と思うようにはなりました。そういう小さな積み重ねが自分にとっては大きかった。

私の人生の方向性に大きな影響を与えたと思うのは、バックパックで超貧乏旅行。夏休みの間に東南アジアの物価が安いところを1日10ドル以内で旅していました。大学卒業後に海外で生活することになって、仕事や人生を考えるために欠かせない経験だったと思うんです。

この旅までずっと日本で生活していたので、そういうエキゾチックな環境を知らなかったんですよ。私はバックパックを背負って貧乏旅行をしたのが、人生初の大カルチャーショックでした。島根県の松江市出身なのですが、みんな顔見知りのような街から飛び出し、海外のサバイバルチックなところで生活して価値観が根底から変わった。今考えてみると何にも代えがたい経験だったと思います。18,19歳の時に経験して、世界ってこんなに違うんだと。その後の人生を考えるのに役に立ちました。

写真:大学時代の村上さん

写真:大学時代の村上さん

WI:行くきっかけは何だったのでしょうか?

村上さん:「特別ここに行きたい!」っていうのはなかった。ただの好奇心だったんです(笑)

お金もないから遠いところにも行けず、学生だからアルバイトをしてお金を貯めて行くってなると限られるでしょ。当時は安く行けてエキゾチックって言ったらインドとか中国とかね。その当時の中国は個人旅行が認められる前だったから、団体旅行じゃないとビザが下りなかった。そういうところに中国人のふりをして行くのは難しいから、筆談で入り込んだりしたの。食中毒もしたけど、若いので1日2日寝てもすぐ治るって感じだった。

1日10ドルの予算だから安い宿に泊まって、地元の人が食べる屋台で食べるっていう生活をするわけですよ。安い宿に泊まるときは、だいたいユースホステルの大部屋みたいなところで2段ベッドが沢山並んでるみたいな。結構色んな国からバックパッカーが集まってきて、色々な国から来てるけど共通言語は英語。聞いたことなかった国出身の人と話しましたね。中国人やインド人と話すのも面白かったけれど、そこに来ている人と交流することによっても自分の視野が広がった。

「忘れもしない食中毒大事件」

村上さん:中国の西安で地元の辛いもの食べようと思って、道端のバンバンジー食べたら当たっちゃったの。その日の夜に凄いお腹が痛くなって、高熱も出て。結局食中毒だったのだけれど、病院に行くにも言葉が通じない。筆談で「我有腹的痛!」って書いたら通じて、ユースホステルのおじさんがわかったって言って、荷台を持ってきてくれてそれに乗って、ロバがその荷台を引くわけですよ(笑)

熱があったからうる覚えだけど、その西安の郊外から診療所まで1時間くらいロバの荷台に揺られて、結構苦しくて、月が見えた瞬間ここで命を落とすのかもしれないって。診療所に行って薬をもらって、何とか復活した。これは19歳くらいの話で、今はもう出来ないんですよ。

サバイバルなところで生きて、自分がいかに恵まれているか分かった。同時に自分がいかに狭い世界で生きていたかも分かったし、自分と違う国で育ってきた人と喋るのが凄く楽しかった。

写真:スタンフォード大学時代の村上さん

写真:スタンフォード大学時代の村上さん

結局私は日本に留まらずに、人生の半分海外で過ごしているんです。そういう道を選んだのも19歳でお腹痛くなりながらロバに引かれたバックパッカーの経験と、色々な文化や考え方に触れたことが大きかったなと。

私は若い人たちに貧乏旅行しなさいって伝えたい。高級ホテルに泊まっても出会いがないわけですよ(笑)でも安いユースホステルの大部屋に泊まると、絶対友達が沢山できる。歳を取ると身体がついていけなくなるから、そういうところに泊まれなくなる。若いときにサバイバルチックな旅行するっていうのは、自分の経験を踏まえてオススメしたいですね。

「学生だったのにロシア旅行の添乗員でロシアへ」

WI:人生の半分以上を海外で過ごされたということは、サークルやバイトはどうされていたのでしょうか?

村上さん:海外で生活するようになったのは、卒業してからです。大学を卒業するまではずっと日本にいました。上智を卒業して日本で就職せずに、すぐにアメリカのスタンフォード大学に留学したんです。大学時代はアルバイトが忙しくて、サークルに費やす時間はあまりなかった。アルバイトでお金を貯めて海外に行きたいって思ってた。

WI:どんなバイトをされていたんですか?

村上さん:ロシア語を勉強していたので、添乗員のバイトで日本人の観光客を私がロシアに連れて行くっていうことをしていました。お給料ももらいながらロシアにも行けるっていう美味しいバイトがあったんですよ。ロシア語をたまたま勉強していて、ロシア語できる人がほんとにいないから。

写真:国連で働きたての村上さん

写真:国連で働きたての村上さん(バルバトスにて)

「自分自身でキャリアのオーナーシップを持つ」

WI:ロシア語はどうして勉強されていたのでしょうか?

村上さん:私は上智に入学した時に、英語はみんなができてつまんないかなって思って、もう1個語学勉強した方がいいかなって。当時は冷戦の時期で、ソビエト連邦っていう国だったんです。ロシアになる前で、アメリカとソ連が冷戦を繰り広げていた時代。ソビエト連邦は鉄のカーテンと言われていました。日本と隣の国だけれど政治的には緊張した関係があって、その当時1番重要性の高い言葉はロシア語かなって思ったんですよ。結局私の考えは外れて、ソビエト連邦は崩壊してロシアになった。

でも英語の次に面白い言語って何かなって思った時に単純にロシア語になった。普通は学生が添乗員のバイトをすることはできないし、私もそんなにペラペラじゃなかったけど、日常会話をできる人がいなかったので雇ってもらって、何回かロシアに行きました。新潟や秋田だと海を越えればウラジオストックなので結構近いですよ。

写真:村上さん(左)

写真:村上さん(左)

WI:(沢山お聞きしたいことがあるので、またガラッと変わってしまうのですが) 様々な記事を拝見させて頂き、村上さんはキャリア形成を重要視されているように感じました。キャリアを築いていく上でモットーはあるのでしょうか?

村上さん:1つは、自分がオーナーシップを持つこと。日本の雇用環境は独特なので、ある程度仕方ないと言ってしまえば仕方ないのかもしれない。そうは言っても入社して会社がひいてくれるレールに乗り、そこから何年後には課長さんになり、何年後には部長さんになりという人事がひいてくれるレールにうまく乗ることによって、自分のキャリアを形成していくという考えを持っている人ってとても多いと思うんです。

写真:国連勤務時代にカンボジアにて村上さん

写真:国連勤務時代の村上さん(カンボジアにて)

終身雇用制あるいは年功序列も崩れてきている。自分自身でキャリアのオーナーシップを持ち、自分で切り開いていくっていう意識を持たないとどこかで壁にぶつかってしまうんじゃないかって私は考えているんです。

初めて就いた仕事が国連で、ラッキーでしたね。。国連では人事が次のポジションを用意してくれるということはなく、すべて自分で探すので。国連での勤務経験が自分のベースにあって気付かされることが多いです。皆さんが社会に出るタイミングでは自分自身でキャリアを、自分自身がオーナーシップを持って築いていくという形になっていくんじゃないかなと。「なんとか会社の村上です」みたいなアイデンティティーはどんどん薄れていくと思っています。

 

次回は1月26日にゴールドマンサックス時代と結婚、家族を中心にした後編を掲載予定です。

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