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【取材レポート第1弾】「自分自身の可能性を広げたかった」株式会社サーキュレーション 信澤みなみさん

昨年10月10日に株式会社サーキュレーションの信澤みなみさんに取材させて頂きました。

3回に分けて掲載する(第2弾:1月10 日/第3弾:1月12日)レポート。

今回は学生時代編。進路選択と大学時代のエピソードを始め、学生時代のことを語って頂きました。

学生時代の貴重なお写真もあり、必見です!!!

写真:現在の信澤さん

信澤みなみ氏プロフィール:「自分らしさを選べる社会をつくる」をビジョンに掲げ、"人と企業が信頼で結ばれる相互尊重型社会"の実現を目指す30歳。 早稲田大学卒業後、大手人材総合会社初の社内ベンチャー一期生として立ち上げに参画後、「新しい働く価値観を創出する」株式会社サーキュレーションの立ち上げに参画。 年間200名の経営者向けのオープンイノベーションコンサルタントを経て、人事部立ち上げ。採用、人事企画、育成研修構築を経て、現在は、「女性がライフイベント、時間、場所にとらわれず働く」を実現するために事業推進、コラム執筆、イベント登壇に奮闘中。 株式会社サーキュレーション社長直轄組織 経済産業省受託事業Project.Work.Design代表/新卒採用チームマネージャー/パラレルキャリアアドバイザー

メディア掲載(一部)<メディア掲載をクリックすると飛べます>

 

Women's Innovation(以下WI):信澤さんは人一倍の好奇心と行動力がおありな印象を抱きました。モチベーションや原動力はどこにあるのでしょうか?

信澤みなみさん(以下信澤さん):私が大学に進学した目的の1つとしてあったのは、「とにかく価値観の幅を広げたかった」のと「自分自身の可能性を広げたかった」から。自分自身が社会に対して、「何に関心を抱き、何をやりたいのか」と自分探しをする為に大学に行ったところもありました。”大学を卒業した後の自分の人生をどうしていくのか”どうしても見つけたくて、それが理由でとにかくアクティブに行動しながら、内心はいつも「何が本当にやりたいことなのだろう」と感じながら、ずっと探していました。

写真:大学で1番もがいていた時期の信澤さん(2列目右から2番目)

大学1、2年生の2年間は模索期間です。悩むだけでは意味がないから、自分自身が知らない環境に飛び出すために長期留学などをしました。帰国してからは、インターンを経験したり、様々なところに顔を出していました。学校の中ではできない体験や世界を見るために社会に飛び込んだ方がいいと感じたから。自分を探すため、自分の価値観や可能性を探したかった。

WI:なぜ早稲田大学人間科学部に入学されたのでしょうか?またその選択は将来を意識した選択だったのですか?

信澤さん:大学を早稲田にしたのは先ほど挙げた理由と同じく「自分自身が見たことのない価値観に触れたい」。その一心でした。

高校生の頃は、何となく上位校の方が可能性が広がりそうと、早慶上智、旧帝大と見ていた中で、マンモス大学と感じたのが早稲田大学でした。

これは純粋に感覚の問題だったので入学後、「なぜ海外の大学を視野にいれられなかったのだろう」と後悔して留学したことにも繋がっています(笑)早稲田に「色」はあるけど、ある意味「色」が決まっていない、ばらばらな感じというか。雑多なところに多様性を感じて、色々な価値観を知れるんじゃないかって。

学部を理由は、私自身が人が「働く」ということや、「人には個人の特質(パーソナリティ)があり、それを活かして生きるとはどういうことだろうか」という”人”や”働く、生きる”ということに関心を抱いていたから。それを勉強できる学部が人間科学部でした。

元々は「父」の影響が大きいんです。ビジネスのシーンで活躍している人だったからそういう意味で「ビジネスを学びたい」という想いがありました。商学部や経営学部に関心があって、早稲田でいうと商学部も選択肢の一つでした。

もう1つの興味として、人が働くということや価値創出するということそのものに興味がありました。早稲田大学はオープンキャンパスといって、他学部の授業も選択できるんです。ゼミは所属している学部の教授を選ぶのがルールだったのだけれど、商学部はゼミを取らなくてもいいという自由度の高い学部でした。人間科学部はゼミを取って卒論ちゃんと書かないと卒業できない学部だったので、働くにおける専門領域でゼミを取って、普段の授業はオープンキャンパスで商学部の授業を取ろうと決めていたので、コアの学部を人間科学部にしました。

(1列目左から2番目)

WI:将来を見つめ、そこまで深く考えられていたんですね!今までおしゃって下さったことを高校生の時に考えていたのですか?

信澤さん:大学選びというより浪人したことが大きいかな。高校3年生までずっとバスケ部のキャプテンをしていました。文武両道の学校だったので、いわゆる高校生活を謳歌していました。3年生まで、高校生ライフをすごく楽しんだ結果、夏に受験スイッチが入らなかったんです。何のために受験をするか自分の中に目的がないとモチベーションが上がらなくて。予備校にも行ってみたけど、勉強するモチベーションが湧かなかった。

現役時代はどこの大学に行きたいっていうのも明確にないまま受験期を迎えて、自分の中で大学行く理由や目的という物がないまま受験を終えてしまったの。そんな感じだったから、受かった大学のどれに行きたいか選べなかった。選べなかった結果、ちゃんと受験勉強してもっと自分を見つめ直した上で大学に行こうと思ったから浪人しました。

写真:高校時代バスケをしている信澤さん(3列目左から2番目)

もう少し細かくいうと私自身が、「もともとの夢って何だっけ?」「自分が将来何したいのか?」と高校3年生で立ち返った時のこと。ポンと出てきたのが2つありました。

1つは、幼稚園の先生や幼児教育。小学生の間、英語を習わせてもらっていたことから、「英会話の教育で子供の可能性を広げたい」という想いがあったの。日本の学校では「自分の状況を答える質問(How are you?)」って聞かれないですよね。でもこの質問によって自分の事を話すようになってくると、自分が何者かということを言語化する事ができる。人の可能性を開くという体験を小学校の時に学校ではなく、英会話スクールで感じていました。それによって感化されて、幼少期に「英語」という物を通じて、個々人の個性を開けるのではないかと考えていました。そういう訳で幼児教育における英会話教育に憧れを抱いていたんです。

写真:高校1年時の信澤さん(1列目左端)

もう1つは高校生の時から「母親になりたい」、「自分の子供を育てたい」という想いがあったこと。どちらにしても高校を卒業して幼児教育の専門学校に行って先生や母親になるよりも、もっと社会や世界の事を知り、自分自身が経験を沢山積む。それから教える側、育てる側になった方が子供の可能性を開けるなと思った時に、大学に行こうと思いました。

領域の決まった専門学校に絞ってしまうよりも、もっと広い世界を見に行った方がその後先生になるにしろ子供を育てるにしろ、可能性を自分自身も見せてあげられると思った。これも大学に進学しよう、浪人してでもしっかり学びたい環境に行こうと思った動機の1つです。

写真:高校卒業時の信澤さん(1列目右端)

大学に行く理由(自分の経験を積む、可能性を広げること)が見つかり、どこの大学に行こうかと考えた時に、自分の可能性が最大限に開けそうなところの方がいいと考えていました。日本においてはできるだけレベルの高い大学の方がチャンスは多いと思っていたので、なんとなく受かった選択肢ではなくもう1つ上の選択肢を作りたい。そう思って、浪人を決意しました。選択肢を狭めてしまうのはもったいない。選択肢を持てる自分になるために、自分の可能性を広げてほしいとWIの読者に伝えたいな。

 

第2弾は1月10日、第3弾は1月12日掲載予定です。

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