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【取材レポート前編】「母の友人の英語の先生は、憧れの存在だった」Business Insider Japan記者 滝川麻衣子さん

7月25日に株式会社メディアジーンにて、Business Insider Japanで記者をされている滝川麻衣子さんに1年ぶりに取材させて頂きました。

記者としての経験はもちろん、そして滝川さんが記事で書かれている働き方、生き方についてもお話を伺うことができました。

学生時代・プライベート編と仕事編(30日掲載予定)の二編構成で掲載いたします。

今回は、学生時代・プライベート編です。

写真:Business Insider Japan記者 滝川麻衣子さん

滝川麻衣子さん:BUSINESS INSIDER JAPAN記者。大学卒業後、産経新聞社入社。広島支局、大阪本社を経て2006年から東京本社経済記者。ファッション、流行、金融、製造業、省庁、働き方の変革など経済ニュースを幅広く取材。 2017年4月からBUSINESS INSIDER JAPANで働き方や生き方をテーマに取材。

 

~学生時代~

Q1:子ども時代、ロールモデルとなる人はいらっしゃいましたか?

滝川さん(以下敬称略):自分の母親は専業主婦だったのですが、祖父母のお寺で働く女性を日常的に見ていました。また、母親の友達の英語の先生は、海外で活躍したいと思っていて、自分の子どもよりも他人の子どものためになるようなことをしていました。それを見て育ったので何もせずに家にいるということは想像がつきませんでした。ただ、働くモデルがあまり他にいなかったので、母の友人の英語の先生は、憧れの存在でしたね。

Q2:学生時代、また大学の進路選択の時点で、既に記者を意識されていたのですか?

滝川:記者という職業は考えていませんでした。どこの学部に行こうか迷っていて、国際関係学部を考えていましたが結局、両親や高校の先生に、将来の選択肢が広がるという理由で勧められた法学部へ進学しました。その後も記者という仕事は考えていなかったのですが、子どものころから書くことが好きだったことや、フリーペーパーを書いた経験から何か「書く」仕事をしたいと思っていました。しかし当時は今ほどインターネットが発達していなかったため、素人の自分に仕事はないと考え、経験を積む目的で新聞社への就職を目指しました。

大学3年時 スポーツ新聞部の編集をしている滝川さん

~プライベート~

Q3:パートナーの決め手は何だったのでしょうか?

滝川:夫は新聞社時代に記者クラブで出会った、報道のテレビ局の人です。過去に自分よりも忙しい女性は苦手だという男性が多かったので、違う職種の人だと休日出勤や帰りが遅いことを理解してもらいにくかったんです。また、私が仕事を頑張ることをよく思わない人もかなりいました。つらいこともあるけれど、とても好きな仕事なので、帰りが遅いことなどにも理解のある人が良かったです。夫は同じ職種なのでそこに理解があったのが大きかったです。楽しい時に盛り上がれるだけでなくて、辛い時に一緒にいられて、自分の弱みを見せられる人だったというのもあります。

Q4:子どもを産まないという選択肢について考えたことはありますか?

滝川:もちろんありました。20代のころは働きながら子育てをしている人が周りにいなかったので、子どもがいなくても仕事の合間に夫婦で旅行に出かけたりするのも楽しいだろうなと考えていました。でも30代が近づくと、子どもが欲しいと思うようになりました。生まない人生もあるけれども、せっかく女性なのだから生んでみたいし体験してみたいというような少し軽い気持ちでした。女性にはリミットがあるので、個人差はあっても男性よりも早く子どもについて考え始める人が多いと思います。

Q5:取材後に記事を書くこと以外でのアウトプット方法はありますか?

滝川:note(文章、写真、イラスト、音楽、映像などを手軽に投稿できるクリエイターと読者をつなぐサービス)に仕事で書けない個人的なことを、匿名で書いたりしています。取材対象の名前は伏せて、親しい人に取材相手の話をすることもあります。そうすると自分の中でもやもやしていたものが何となくでも形になって記事にしやすくなって、消化出来るようになるんです。オフィスに戻ってから、BI(Business Insider Japan)浜田統括編集長などに取材のことを話してみると、自分の考えがより鮮明になって、記事に役立つことがあります。いきなり記事に書き起こすよりも、他人に話してみることで自分の言わんとしていたことが見えてきます。

Q6:ノートはいつごろから書かれているのですか?

滝川:東日本大震災があった頃からです。震災後、当時自分の担当であった原発の取材をする中で、これからの日本がどうなるのかとても不安になり、苦しくなった時期がありました。でも、新聞は事実を伝えるのが最優先事項なのでその思いはあまり紙面上に書くことはできない。そこでnoteに書いてみることにしたんです。記者ブログもやっていたのですが、実名で社名も出してやっていたので本当のことを全て書くことはできませんでした。その点noteは殴り書きのように自分の想いを綴ることができるので震災当時は1週間に1回のペースで、立て続けに2日連続で書くこともありました。

 

滝川さんありがとうございました。

次回(30日)は記者としてのお仕事についての内容をお届けいたします。

お楽しみに!

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